障害があっても地域の中で暮らし続けたい
グループホームは障害のある人たちの「障害があっても地域の中で暮らし続けたい」という 思いからスタートしました。「障害のある人たちの地域の中での普通の暮らしの実現」を目指し て、各地で障害のある人と援助者・運営者、ともにグループホームの実践を積み重ね、その蓄積が国のグループホーム制度へとつながってきました。
障がい者自立支援法はさまざまな課題を抱えていますが、その目的に「障害の有無にかかわら ず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与するこ と」を掲げ、入所施設や病院を出て、その人の希望する地域で暮らすことを実現するための施 策を打ち出していることは評価すべきことです。
長年続いてきた入所施設中心の施策に後戻り することのないようにするためにも、グループホームの充実は大切なことだと考えます。 障がい者自立支援法になって、グループホームの内容は大きく変わりました。通勤寮や援護寮 など小規模な施設も含めてグループホームとなったことにより、大規模なグループホームが出 現することとなりました。また、入所施設や病院の敷地内にあるものも地域移行型ホームとし て認められています。
グループホームが「住まい」であることを考えれば、これは大きな課題 です。 一方、グループホームを一定のエリアでとらえるようになり、定員2名という小さな単位の 生活も可能となりました。このことにより、小規模な暮らしを望む人にとっては一歩、前進しました。 私たちは、自立支援法の修正すべきところは修正し、よいところは伸ばしていくことに力を尽くす必要があります。 グループホームは、障害のある人たちの「地域の中」にある「普通の暮らしの場」であること、 入居者自身の「自分にあった自分の暮らし」を実現できる場であること、これらのことをこれ からも大切に守り続けなければなりません。
一方で、グループホームは、小規模な生活の場であるがゆえに密室化しやすく、援助者の孤 立や、援助者主導の管理された暮らしを生む危険性も同時にはらんでいます。これらの課題を 克服していくためのさまざまな方法を模索していく必要があります。
所施設からグループホームへ
日本の障がい者福祉の戦後の歴史は、戦災孤児・生活困難者対策として、障害のある人を 施設(入所施設)に収容し、指導訓練を柱として展開されてきました。 1960年代後半から70年代にかけてコロニーと呼ばれる巨大な施設が各地(全国27道府県) に整備されました。いずれも一般社会の潜在的な差別意識による反対運動や設置経費の問 題があり、巨大な施設は市街地から遠く離れた場所に設置されました。こうして障害のある 人だけが多数集められて住むという異常な状況が生まれ、戦後社会の経済成長の陰で忘れ られたまま、長い収容隔離の時代が続くことになるのです。 障害のある人を生まれ育った地域から遠くに追いやり、家の中に閉じこめることを「仕方 がない」と黙認してきた歴史は、障害のある人を一般社会から遠ざけ、社会の人々と障害の ある人がお互いに知る機会も閉ざしてきました。障害のある人を社会の一員として受け止 めていくにはおよそ程遠い状況でした。 長期にわたる入所施設での閉ざされた状況は、さまざまなひずみ(施設病=ホスピタリズ ム)を生み出しました。施設での「家族との関係の希薄さ」「固定しない人間関係」などから人 との信頼関係がつくれなかったり、「与えられた生活」「限られた空間」に限定された生活か ら社会経験が不足し、障害のある人たちにさまざまな不安定な状況をもたらしてきました。 施設病(ホスピタリズム)の解決を求めた取り組みとして、北欧をはじめとする諸外国から、グループホーム「小規模住居による援助」の実践報告が伝えられてきました。日本におい ても、愛知県瀬戸市の「はちのす」に見られるように地域で障害のある人が暮らす試みが行 われてきました。 知的な障害のある人たちが、施設から出て地域の中で暮らすことでめざましい成長を示 した事例が紹介され、巨大な入所施設での生活と地域生活が比較されるに伴い、障害のある 人たちの権利を求める運動となって急速に世界に広がりました。日本でも「障害を拒否した り、障害を克服することを求めるのではなく、障害のある人をありのままの人間として受け 入れること」を求めた障がい者自身の訴えが起こりはじめました。
この運動は、1970 ~ 1980年代に入り、「障がい者は通常の人々と同じ権利を持ち、同じような生活を送る主体である」という認識のもとに、その実現のために必要なサービスを提供していこうとするノーマライゼーション理念として支持され、1975(昭和50)年、国連の「障がい者権利宣言」として認知されました。 以来、日本でもグループホームの試みが全国各地で広がることとなり、その実践経過を参考にしながら、1989(平成元)年、精神薄弱者(当時の名称)地域生活援助事業(グループ ホーム)」として制度化されました。
大阪・滋賀の障がい者グループホームはぴねすは店員4名です。
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